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東京高等裁判所 平成4年(行ケ)230号 判決

東京都新宿区西新宿二丁目4番1号

原告

セイコーエプソン株式会社

同代表者代表取締役

安川英昭

同訴訟代理人弁理士

石井康夫

柳澤正夫

鈴木喜三郎

上柳雅誉

東京都千代田区霞が関三丁目4番3号

被告

特許庁長官 清川佑二

同指定代理人

遠藤政明

今野朗

関口博

伊藤三男

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者が求めた判決

1  原告

特許庁が、平成4年審判第3770号事件において、平成4年9月18日にした、同年4月2日付けの手続補正を却下する旨の決定を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文と同旨。

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和54年10月25日に出願した昭和54年特許願第138055号の分割出願として、平成元年1月13日、名称を「半導体装置の製造方法」とする発明(後に名称を「半導体装置」と補正)につき、特許出願をした(平成1年特許願第6448号)が、平成4年1月7日、拒絶査定を受けたので、同年3月4日、これに対する不服の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を平成4年審判第3770号事件として審理し、原告(請求人)のした同年4月2日付けの手続補正(以下「本件補正」という。)につき、同年9月18日、「平成4年4月2日付けの手続補正を却下する。」との決定をし、その謄本は、同年11月7日、原告に送達された。

2  補正却下の決定(以下「本件決定」という。)の理由

本件補正は、明細書の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明を補正し、その補正内容のうち、特許請求の範囲において、P型ウエル領域とN型ウエル領域について、「P型ウエル領域の前記第1表面よりも低い第2表面を持つN型ウエル領域」、及び「前記P型ウエル領域とN型ウエル領域との境界に段差を有する」と補正し、発明の詳細な説明に、N型ウエル領域とP型ウエル領域との境界に、表面部分の酸化によりP型ウエル領域の表面よりも低い表面を持つN型ウエル領域が形成されていることによる段差がアライメントマークとして利用でき、マスク合わせが容易となる旨の記載を追加している。

ところで、願書に最初に添付された明細書及び図面(以下、図面を含めて「当初明細書」という。)には、シリコン酸化膜をマスクとしてイオン注入によりP型ウエルを形成する旨の記載があり、P型ウエルとN型ウエルの形成された半導体装置が第2図に記載されている。

しかし、P型ウエル領域の第1表面よりも低い第2表面を持つN型ウエル領域と、P型ウエル領域との境界に段差を有すること、及び、そのことにより段差がアライメントマークとして利用でき、マスク合わせが容易となる作用効果については、当初明細書のどこにも記載されておらず、かつ、当初明細書の記載からみて自明のこととも認められない。

したがって、本件補正は、明細書の要旨を変更するものであるから、特許法159条1項において準用する同法53条1項の規定により却下すべきものである。

第3  原告主張の本件決定の取消事由の要点

本件決定の理由中、本件補正の内容の認定は認める。

しかし、本件決定は、「P型ウエル領域の第1表面よりも低い第2表面を持つN型ウエル領域と、P型ウエル領域との境界に段差を有すること」と、「そのことにより段差がアライメントマークとして利用でき、マスク合わせが容易となる作用効果」については、当初明細書のどこにも記載されておらず、かつ、当初明細書の記載からみて自明のこととも認められないと、誤って認定した。

本件補正は、当初明細書に記載された事項の範囲内又は当初明細書の記載からみて自明なことであり、明細書の要旨を変更するものに該当せず、これを要旨を変更するものとした本件決定は、違法として取り消されなければならない。

1  取消事由1(段差を有することについての誤認)

(1)  当初明細書(甲第2号証)には、N型ウエル17の表面がP型ウエル20の表面よりも低く形成され、N型ウエル17とP型ウエル20との境界に段差が生じていることが、図面第2図に示す製造工程とその説明において、明瞭に記載されている。

すなわち、同図において、段差が形成される過程は、次のとおり説明されている。

第2図(a)について、「シリコン基板13にシリコン酸化膜14、シリコン窒化膜15を形成した後、N型ウエルを形成するための窓をあけ、レジスト16をマスクとしてイオン注入により該N型ウエル17を形成する。」(同号証3頁8~12行)と記載されており、この段階では、N型ウエル17の表面は、シリコン基板13の表面と同一平面である。

同図(b)について、「レジスト16を剥離した後、シリコン窒化膜15をマスクとして選択酸化を行ないシリコン酸化膜18を形成した。」(同3頁12~14行)と記載されており、シリコン窒化膜15をマスクとして酸化が行なわれるから、シリコン酸化膜18が形成されるのは、N型ウエル17の表面のみであり、N型ウエル17の表面のシリコンは、シリコン酸化膜18となる。

同図(c)について、「シリコン窒化膜15を除去し、その下のシリコン酸化膜をエッチングすると選択酸化をした部分にシリコン酸化膜19が残る。該シリコン酸化膜19をマスクとしてイオン注入によりP型ウエル20を形成する。」(同3頁15~19行)と記載されており、P型ウエル20の表面は、イオン注入によりその高さが変化するものではないから、シリコン基板13の表面であり、N型ウエル17の表面は、酸化によりシリコン酸化膜18となった分だけ低くなっていることは明らかである。

したがって、当初明細書の記載から、N型ウエル17の表面がP型ウエル20の表面より低く形成され、N型ウエル17とP型ウエル20との境界に段差が生じていることは十分に理解できる。

(2)  一方、本件補正により補正された明細書(以下「補正明細書という。)の特許請求の範囲には、「シリコン基板に形成され、かつ、所定高さの第1表面を持つP型ウエル領域と、前記P型ウエル領域に隣接し、かつ、その表面部分の酸化により前記P型ウエル領域の前記第1表面よりも低い第2表面を持つN型ウエル領域と、前記P型ウエル領域中に形成されたP型ストッパー領域とを有し、前記P型ウエル領域とN型ウエル領域との境界に段差を有することを特徴とする半導体装置。」と記載されている。

この「シリコン基板に形成され、かつ、所定高さの第1表面を持っP型ウエル領域と、前記P型ウエル領域に隣接し、かつ、その表面部分の酸化により前記P型ウエル領域の前記第1表面よりも低い第2表面を持つN型ウエル領域」との構成の示すとおり、N型ウエル領域は、P型ウエル領域に隣接し、かつ、その表面部分の酸化によりP型ウエル領域の表面より低い表面が形成されているのであるから、両領域との境界に段差が生ずることは明らかであり、これを、「前記P型ウエル領域とN型ウエル領域との境界に段差を有する」と表現したものである。

このように、表面の一部の領域が酸化された場合に、酸化された領域の周縁に生じる高低差を「段差」と呼び、その位置を境界という用語で表現することは、特開昭49-29986号公報(甲第4号証)、特開昭54-48171号公報(甲第6号証)、特開昭53-60165号公報(甲第7号証)にみられるとおり、半導体装置の技術分野において普通の表現であり、このような普通の表現を用いて、「前記P型ウエル領域とN型ウエル領域との境界に段差を有する」と記載することは、その製造工程を記載した当初明細書の記載事項の範囲を出るものではないことが明らかである。

(3)  被告主張の段差の定義は争う。そもそも、定義自体矛盾を含んだものであり、首肯できない。

被告は、当初明細書(甲第2号証)の図面第2図(b)におけるシリコン窒化膜の曲がり部分を根拠として、第2図にN型ウエルの端部が選択酸化されていない基板表面にあることが示されていると主張する。

しかし、この曲がり部分はシリコン酸化膜の形成による体積の増大を示したもので、当初明細書の「シリコン窒化膜15をマスクとして選択酸化を行ないシリコン酸化膜18を形成したのが第2図(b)である。」(同号証3頁12~14行)との記載から、第2図(b)がN型ウエル領域の表面の酸化工程を示すものであることは明らかである。そして、両ウエル間の段差は、第2図(c)で形成されている。第2図(c)で示された状態を境界に段差があると表現するのは通常の表現方法である。また、ウエル端部の位置は、不純物の種類、量、処理温度によって影響を受けるものの、境界位置から大きくずれるものではなく、実質的に境界位置に止まるものであり、被告の主張は誤りである。

2  取消事由2(作用効果についての誤認)

(1)  当初明細書におけるシリコン酸化膜19は、P型ウエルの形成の際にマスクとなるものであるから、注入されるイオンに対してマスク作用をもたらすだけの厚さのものである。この厚さは、例えば、3000~5000Åの厚さであることは技術常識である。シリコン基板の表面に酸化膜が形成されると、その表面から酸化膜の厚さの1/2程度の深さの部分が酸化され、それと同じ程度の厚さだけ盛り上がることもよく知られた事実である。したがって、3000~5000Åの厚さに選択酸化膜が形成されると、その1/2程度の1500~2500Åの段差が形成される。

そして、シリコン基板の表面の酸化によって生じた段差をアライメントマークとして利用する技術が本願出願前周知であったことは、特開昭49-29986号公報(甲第4号証)、特開昭52-103973号公報(甲第5号証)から明らかであり、この各公報に記載されたシリコン基板表面の酸化によって生じた段差をアライメントマークに利用する技術が、ツインウエルの境界に形成された段差の場合に利用できないとする格別の理由はない。

当初明細書に記載された上記段差が、アライメントマークとして利用できる程度の大きさであることは疑いのない事実であり、段差を境界領域の認識に利用できるということは、段差が生じたという構成からもたらされる当然の効果である。

(2)  被告は、本件補正によって上記段差がアライメントマークとして利用できるとの作用効果の記載を加えることは、当初明細書に記載された発明の本質を実質的に変更するものであると主張する。

しかしながら、本件補正の前後を通じて、選択酸化によって生じた段差がアライメントマークとして利用するに足りる段差であることに変わりはなく、本件補正によって加えられた作用効果の記載により、段差の位置あるいは高さ等、段差の要件に何らの変更も加えられていない。上記記載の追加によって、発明としての技術的思想を実質的に変更するものではないことは、明らかである。

第4  被告の主張

本件決定の認定判断は正当であって、取り消すべき違法はない。

1  取消事由1について

(1)  本件補正後の発明は、その特許請求の範囲の「P型ウエル領域とN型ウエル領域との境界に段差を有する」ことを必須の構成とするものであるが、このことは、当初明細書に記載はもとより示唆もされておらず、また、当初明細書から自明の事柄でもない。

一般に2つの領域の境界に段差があると表現するのは、境界において表面位置が高い方の領域の一部が、低い方の領域側に露出している場合である。この場合には、表面位置の低い領域側から境界の方向をみたときに、表面位置の高い方の領域が見えるものである。上記「P型ウエル領域とN型ウエル領域との境界に段差を有する」との構成は、このことを意味している。

(2)  これに対し、当初明細書には、上記のような意味で、境界に段差があることは示されていない。

当初明細書において、両ウエルの表面の高さに関して記載されているのは、図面第2図だけであるが、同図によれば、表面位置の低いN型ウエル領域の境界端部に突出した部分が存在し、その上端がP型ウエル領域の表面位置と同じ高さにあるために、境界においてP型ウエル領域の一部たりともN型ウエル領域より見て上に露出している部分は存在していない。すなわち、同図には、境界に段差があることは示されていない。

当初明細書(甲第2号証)には、「レジスト16をマスクとしてイオン注入により該N型ウエル17を形成する。」(同号証3頁10~12行)と記載されているが、単にイオン注入しただけではウエルは形成されず、必ず熱処理工程が必要であって、この熱処理のときに注入されたイオンすなわち不純物は半導体基板表面に直角方向だけでなく平行方向にも拡散されるので、N型ウエルの端部はイオン注入のマスクの下部に位置するようになる。当初明細書には、このための熱処理に関しては記載されていないが、仮にこの熱処理が選択酸化工程における熱処理と兼用されるとしても、選択酸化工程が終了したときにはN型ウエルの端部はイオン注入のマスクの下部に位置するようになる(甲第5号証・特開昭52-103973号公報3欄20行~4欄11行、第1~第3図)。ウエルの端部がマスクの外縁からどの程度内側となるかは使用する不純物の種類、量、処理温度等により異なる。

シリコン酸化膜上に設けたシリコン窒化膜をマスクとして選択酸化をする場合には、シリコン窒化膜の外縁の内側にも酸素が拡散していくので、形成される選択酸化膜の端部は、当初明細書の図面第2図(b)のようにマスクであるシリコン窒化膜の下に位置するようになる。形成された選択酸化膜下の半導体表面が、シリコン窒化膜によりマスクされていた半導体基板表面より低くはなるが、形成された選択酸化膜とN型ウエルの端部との位置関係は、熱処理手段、イオン注入する不純物元素の種類、量等によって左右される。また、選択酸化に使用したマスクを除去した後に選択酸化膜をマスクにイオン注入することによってP型ウエルを形成する場合においてもN型ウエルの形成の場合と同様である。

このように、当初明細書には、半導体基板にN型ウエルとP型ウエルの両ウエルとこのP型ウエル内にP型ストッパーを、選択酸化を利用することにより自己整合で形成する工程が記載されているとしても、選択酸化によって生じた段差をP型ウエル領域とN型ウエル領域との境界に位置させることにつき、何らの記載も示唆もないのであり、当初明細書の記載からは、半導体装置において、P型ウエル領域とN型ウエル領域との境界に段差があることは、自明でもない。

2  取消事由2について

(1)  当初明細書には、半導体基板にP型ウエル領域内にストッパー領域を有するツインウエルを形成することまでは記載されているが、ツインウエルの形成後ウエル領域に素子を形成する場合にどのようにして行なうかについては何も記載されておらず、アライメントマークとして何を利用するかは、当初明細書には記載も示唆もない。

特開昭49-29986号公報(甲第4号証)にも示されるように、アライメントマークとしては、単なる直線の一部ではなく特別に形成した十字形等のXY両方向成分を含む図形が使用されるのが普通であって(同号証第2図)、段差がありさえすればその段差がアライメントマークとして使用できるというものではない。また、アライメントマークを使用してのマスクの位置合わせは、ウエハ単位、チップ単位でなされるのであって、P型ウエルとN型ウエルの双方が1チップ内に存在する場合においても、各ウエル毎に位置合わせするものではない。

上記公報及び特開昭52-103973号公報(甲第5号証)に記載されているように、シリコン基板表面の酸化によって生じた段差をアライメントマークとして利用する技術が周知であったとしても、段差を境界領域の認識に利用できるということは、段差が生じたという構成からもたらされる当然の効果ではないから、上記周知技術から直ちにツインウエルの両ウエルの境界に段差がある場合にその段差をアライメントマークとすることが自明であるとはいえない。

(2)  したがって、補正明細書に記載されたP型ウエルとN型ウエルとの境界の段差がアライメントマークとして利用できマスク合わせが容易となるという作用効果は、当初明細書の記載から自明とはいえない。

このように、当初明細書には、マスク合わせの際に使用するアライメントマークに関する技術思想はもとより、マスク合わせに関する技術思想も全く開示されていないのであるから、本件補正により、P型ウエルとN型ウエルとの境界の段差がアライメントマークとして利用できマスク合わせが容易となるという作用効果の記載を加えることは、当初明細書に記載された発明の本質を実質的に変更するものであるから、要旨変更となることは明らかである。

第5  証拠関係

本件記録中の書証目録の記載を引用する。書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。

第6  当裁判所の判断

1  取消事由1(段差を有することについての誤認)について

(1)  本件決定の理由中、本件補正の内容の認定、すなわち、本件補正により、本願発明の特許請求の範囲は、「シリコン基板に形成され、かつ、所定高さの第1表面を持つP型ウエル領域と、前記P型ウエル領域に隣接し、かつ、その表面部分の酸化により前記P型ウエル領域の前記第1表面よりも低い第2表面を持つN型ウエル領域と、前記P型ウエル領域中に形成されたP型ストッパー領域とを有し、前記P型ウエル領域とN型ウエル領域との境界に段差を有することを特徴とする半導体装置」と補正され、発明の詳細な説明に、N型ウエル領域とP型ウエル領域との境界に、表面部分の酸化によりP型ウエル領域の表面よりも低い表面を持つN型ウエル領域が形成されていることによる段差がアライメントマークとして利用でき、マスク合わせが容易となる旨の記載が追加されたことは、当事者間に争いがない。

(2)  これに対し、当初明細書(甲第2号証)の特許請求の範囲には、「シリコン基板内に該シリコン基板よりも濃度の高い同タイプのウエル及び逆タイプのウエルを形成してなる半導体集積回路のストッパー形成において、該シリコン基板上にシリコン酸化膜及びシリコン窒化膜を形成する工程と、ホトエッチによりN型ウエルを形成するための窓をあけ該N型ウエルを形成する工程と、前記シリコン窒化膜をマスクとして前記N型ウエル上に選択酸化膜を形成する工程と、前記シリコン窒化膜を除去した後、前記選択酸化膜をマスクとしてP型ウエルを形成する工程と、さらに前面を酸化しP型ストッパーを形成するための窓をあけ、レジスト及び前記選択酸化膜をマスクとして該P型ストッパーを形成する工程とを備えたことを特徴とする半導体装置の製造方法」の発明が記載され、これにつき、発明の詳細な説明には、その冒頭に、「本発明は半導体装置の製造方法、特にストッパーを形成する製造方法に関する」(同号証明細書2頁3~4行)とし、次いで、従来のストッパーの製造方法を第1図を示して説明し、その欠点を挙げ(同2頁5行~3頁1行)、「本発明は以上の欠点を改良したものである。本発明の目的とするところは、自己整合となっているP型及びN型ウエルのP型ウエル内にP型ストッパーを自己整合で形成することにより素子の高集積化を図ることができるところにある。」(同3頁2~6行)として、当初明細書に記載された発明が、半導体装置の製造方法、特にストッパーを形成する製造方法に関することを明示していることが、認められる。

そして、上記記載に続き、「本発明の一実施例を第2図に従って説明する。第2図(a)でシリコン基板13にシリコン酸化膜14、シリコン窒化膜15を形成した後、N型ウエルを形成するための窓をあけ、レジスト16をマスクとしてイオン注入により該N型ウエル17を形成する。レジスト16を剥離した後、シリコン窒化膜15をマスクとして選択酸化を行ないシリコン酸化膜18を形成したのが第2図(b)である。次に第2図(c)のようにシリコン窒化膜15を除去し、その下のシリコン酸化膜をエッチングすると選択酸化をした部分にシリコン酸化膜19が残る。該シリコン酸化膜19をマスクとしてイオン注入によりP型ウエル20を形成する。さらに、第2図(d)のように全面にシリコン酸化膜21を形成した後、同図(e)のようにP型ストッパーを形成するための窓をあけ、レジスト22及びシリコン酸化膜23をマスクとして該P型ストッパー24を形成する。」(同3頁7行~4頁4行)として、図面第2図に示される実施例につき説明したうえ、最後に、「上記で説明した本発明による製造方法によれば、おのおのが自己整合となるP型、N型ウエルにおいて、さらにP型ストッパーが自己整合で形成されるためにマスクずれ等による余裕をもたせる必要がなくなり、それによりウエルの面積を20~30%小さくすることができる。以上のように本発明は素子の高集積化を図ったものである。」(同4頁4~11行)と記載して、発明の詳細な説明を終えていることが認められる。

当初明細書の以上の記載によれば、当初明細書に記載された発明は、素子の高集積化を図るため、おのおのが自己整合となるP型、N型ウエルにおいて、さらにP型ストッパーを自己整合で形成する半導体装置の製造方法、特にストッパーを形成する製造方法を開示しているが、そこには、本件補正後の特許請求の範囲に記載されているP型ウエル領域とN型ウエル領域について、「P型ウエル領域の前記第1表面よりも低い第2表面を持つN型ウエル領域」、及び「前記P型ウエル領域とN型ウエル領域との境界に段差を有する」ことは、何ら明示されていないことが認められる。

(3)  原告は、当初明細書の図面第2図には、N型ウエル17の表面がP型ウエル20の表面よりも低く形成され、N型ウエル17とP型ウエル20との境界に段差が生じていることが明瞭に図示されていると主張する。

そこで、当初明細書(甲第2号証)の図面第2図及びこれを説明した当初明細書の前示記載をみると、同図(c)の工程において、N型ウエル17の上に形成されたシリコン酸化膜18につき選択酸化をしてシリコン酸化膜19を残し、該シリコン酸化膜19をマスクとしてイオン注入によりP型ウエル20が形成されることが開示され、次いで、同図(d)の工程において、前面にシリコン酸化膜21が形成された後、同図(e)のようにP型ストッパーを形成するための窓をあけ、レジスト22及びシリコン酸化膜23をマスクとして、P型ストッパー24がP型ウエル領域内に形成されることが開示されていることが認められる。

この第2図(c)及び(d)に図示されたP型ストッパーが形成される以前のものにおいては、P型ウエル領域の表面がN型ウエル領域の表面よりも高くなり、N型ウエル領域がP型ウエル領域とN型ウエル領域の境界からなだらかな傾斜をもって続いていることが開示されており、同図(e)に図示されたP型ストッパーがP型ウエル領域内に形成されたものにおいては、P型ストッパーが形成された部分の下にあるP型ウエル領域の表面はP型ストッパーが形成されていない部分の表面よりP型ストッパーの厚みの分だけ低くなっており、P型ストッパー及びP型ウエル領域がそれぞれN型ウエル領域に隣接して接する箇所において、P型ウエル領域の表面が突出してN型ウエル領域に接していることが認められ、いずれの場合も、これをもって、本件補正後の特許請求の範囲に記載された「N型ウエル領域と、P型ウエル領域との境界に段差を有する」構成を備えていると認めることはできない。

仮に、同図(e)のP型ストッパーの表面をP型ウエル領域の第1表面とみなすことができるとしても、同図(c)、(d)と同様に、N型ウエル領域はP型ウエル領域とN型ウエル領域の境界からなだらかに傾斜して続いていることが開示されているにすぎず、境界に段差があると認めることはできない。

原告は、本件補正後の特許請求の範囲における「段差」はN型ウエル領域の表面部分の酸化により形成される段差に限定されるものであり、半導体装置の技術分野において、表面の一部の領域が酸化された場合に、酸化された領域の周縁に生じる高低差を「段差」と呼び、その位置を境界という用語で表現することが周知であるから、「前記P型ウエル領域とN型ウエル領域との境界に段差を有する」との記載は当初明細書に記載された事項の範囲を出るものではないと主張する。

なるほど、特開昭49-29986号公報(甲第4号証)には、「選択拡散マスク用熱酸化膜の存在したところとそうでないところの境界部にシリコン基板自体の表面に段差を生じる。」(同号証3欄5~7行)、「その後すべての表面の酸化膜2、4を除去するとシリコン基板の表面は最初に酸化した部分の5aと拡散後更に酸化した部分5bとの境界に段差6を生ずることになる。」(同5欄5~8行)との記載があり、特開昭54-48171号公報(甲第6号証)には、マスク層を用いて、不純物拡散を行ない、そのマスク層を残したまま、拡散領域の表面を酸化した場合に、酸化ケイ素膜が、拡散領域とそれ以外の領域との境界部上において段差を生じる旨の記載(同号証1頁右下欄3~9行)があり、特開昭53-60165号公報(甲第7号証)の第2図には、酸化シリコン膜6を形成した部分に、酸化による表面が低くなった領域が図示され、これにつき、「埋込領域と非埋込領域の境界に段差部分7をつけることができる。」(同号証2頁左上欄19行ないし右上欄8行)との記載があることが認められるが、上記各公報に示された段差の形状は、当初明細書の第2図(c)~(e)で開示された形状とは異なることは明らかであるから、上記各公報の記載をもって、当初明細書に開示された形状を境界に段差があると表現することが周知であると認めることはできず、また、選択酸化により形成された段差が第2図(c)~(e)に示されている形状に必ずなると認めるに足りる資料は、本件全証拠によっても見出すことはできない。

原告主張のように、本件補正後の特許請求の範囲における「前記P型ウエル領域と前記N型ウエル領域との境界に段差を有する」との構成が、上記周知の形状の段差を意味するものとすれば、当初明細書には開示されていない上記各公報に記載されているような段差を有する半導体装置であって、P型ウエル領域中に形成されたP型ストッパー領域を有するものまで、本件補正後の発明に含まれることになり、当初明細書に開示された発明を実質的に変更するものとなることは、明らかである。

(4)  以上のとおりであるから、当初明細書には、「P型ウエル領域の第1表面よりも低い第2表面を持つN型ウエル領域と、P型ウエル領域との境界に段差を有すること」が記載されておらず、自明のこととも認められないとした本件決定の認定に誤りがあるということはできない。

原告主張の取消事由1は理由がない。

2  取消事由2(作用効果についての誤認)について

当初明細書には、P型ウエル領とN型ウエル領域との境界に段差を有することが開示されていないことは上記のとおりであり、また、当初明細書(甲第2号証)の記載全体を検討しても、この段差をアライメントマークとして利用することにつき何らの開示も示唆もないことは明らかである。

したがって、この段差をアライメントマークとして利用するという事項を加えることは、当初明細書に開示されたところを越えて、その要旨を変更するものといわなければならない。

原告主張の取消事由2は、理由がない。

3  よって、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 押切瞳 裁判官 芝田俊文)

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